何も望まない。
お前さえ居てくれれば。
だから……。
お願いだから、傍に居させて――――――?
アゲハ蝶
久し振りに任務が順調に進み、予定よりかなり早い時間ではあったがカカシと彼の部下である3人の下忍達は、まだ夕暮れ前の道を歩いていた。
「カカシ先生、今日はこれで終わりだってば?」
「そ、終わり。オレは報告書出しに行くから、この辺で解散ね。」
カカシが振り向いてそう答えると同時に、すぐ横の木ノ葉病院から歓声が上がった。
「可愛い〜〜っ!」
「見せて、見せてっ!きゃ〜っ!小さい〜っ!」
黄色い声を上げているのはどうやら同じ忍仲間の女性達で、何やら丸く輪になって、中心を覗き込んでいる。
「な、なんだってば?」
ナルトが目を丸くしている間に、サクラは既にその輪に駆け寄っていた。
「いや〜〜ん!か〜わいいっ!」
途端に歓声を上げる。
「サ、サクラちゃん?!」
「ナルト、あんたも早く来なさいよ!サスケくん!カカシ先生も!」
ナルトがおっかなびっくり近寄ると、カカシとサスケも仕方なく付いて行く。
「わぁ……。」
輪の中心に辿り付いたナルトは、声を震わせた。
「ああ……、なる程ね。」
カカシはナルトの肩に手を置き、彼女達が興奮している原因を覗き込んだ。
「赤ちゃん……だってば……。」
それは、生後一週間程の赤子だった。
母親の腕にしっかり抱かれ、すやすやと眠っている。
「今退院なの?」
カカシが声をかけると、母親の代わりに彼女の横に寄り添うように立っていた人物が答える。
「ああ、オレの任務が終わるまで待たせちまった。一人で退院させるのは心配だったからな。」
「あなた、ひとりじゃないわよ。」
「そうか、そうだった…。」
幸せそうに微笑う夫婦と、彼らにしっかりと守られる生まれたばかりの命。
ナルトはその命をじっと見つめていた。
「カカシ、はい。」
ふいに母親がカカシに向かって赤子を差し出した。
「何?抱かせてくれんの?」
カカシはズボンのポケットに手を入れたまま……。
「やめとけ。汚い手で触るな。」
サスケの言葉にカカシは苦笑しながらも、それを素直に認めた。
「―――失礼だね―――と言いたい所だけど、確かにその通りだからさ、また今度。」
任務帰りの自分達の姿を見るまでもなく、丁重に断る。
「大丈夫よぉ。ほら、強い男に抱いてもらうと縁起がいい―――って言うじゃない?この子には強くなって欲しいの。カカシ、お願い。」
「おいおい、オレじゃ不満だってのか?」
夫が不満を漏らすと、母親はピシャリと言い放つ。
「カカシの方が実力は上でしょ?ひがまないの。」
そうして赤子をカカシの腕に抱かせる。
カカシは壊れ物を扱うように、小さなその存在を両手でそっと抱えた。
「きゃ〜っ!カカシさんが赤ちゃん抱いてる〜、似合う〜っ!」
再び女性達の間から歓声が上がる。
「可愛い〜!ね、カカシ先生。よく見せて?」
サクラがカカシの横へ回る。
小さな生命。
まだ傷ひとつ無いであろうその柔らかな肌。
握り締めた小さな手。
何もかもまっさらで、あらゆる可能性を秘めた存在。
ナルトは言葉もなく、ただただ、見つめるばかりだった。
「カカシも早く自分の子を抱かないとね。」
母親の言葉にナルトはビクッと反応する。
「そうだな。早く結婚しちまえよ。」
彼女の夫がそう言うと、カカシは微笑みながら答える。
「オレはいいのよ。」
「こんな時代だからか?オレ達が忍だからか?」
「ん?そうじゃなくってさ……。」
カカシは腕の中の赤子を母親に返す。
「カカシさんの赤ちゃん!きっとすごい美形よね〜。」
「あ、見てみた〜い!」
「どうしよう!想像しちゃった……。いいかも〜!」
輪になっていた女性達が更に興奮状態に陥る。
勝手なことを言っている彼女達に苦笑しながら、カカシは夫婦に向き直る。
「じゃ、気を付けて帰れよ。悪かったね。引き止めて。」
「ありがとう。カカシも任務、気を付けてね。」
「またな。」
夫婦はそう言って、病院を後にした。
「ねぇ、カカシ先生。あのお母さんも忍なの?」
サクラの言葉に、カカシは去って行く彼等を見送りながら答える。
「ああ。でもまぁ、任務はもう受けないだろうね。」
「そうよね。」
そのやり取りを聞きながら、ナルトはグッと拳を握り締めていた。
ナルトとカカシは、既にお互いの家に居るのが極自然なこととなっていた。
今日はカカシの家で夕食を済ませ、風呂にも入った後、明日までに出さなくてはならない書類があるからとカカシは自室に篭った。
暫くして寝室に入ると、ナルトはベッドの上で膝を抱えていた。
「まだ起きてたの?」
カカシが声をかけると、ゆっくりと顔を上げる。
「どうした?」
明らかに普段と様子の違うナルトをカカシは心配そうに見つめ、その肩を抱き寄せる。
「カカシ先生……。」
「ん?」
ナルトは自分の肩からカカシの腕をどかせると、正面から見据える。
「カカシ先生、子供、好き?」
「何?どうしたの?急に……。」
問い返すカカシに、ナルトは辛そうに言葉を続けた。
「赤ちゃん……欲しいってば?」
ああ…そう言うこと……。
カカシはナルトの様子がおかしかった理由に気付く。
ナルトは自分達の関係に疑問を感じているに違いなかった。
自分を真っ直ぐ見つめるナルトに、カカシははっきりと答えた。
「いらないよ。」
「でも、赤ちゃん抱いてる時のカカシ先生、すごく優しい顔してたってば。ほんとは、ほんとは赤ちゃん欲しいんだってば?」
自分の考えが当たっていたことに苦笑しながらも、カカシはもう一度答える。
「いらないって言ってるでしょ?第一オレにはナルトが居るじゃない?」
「だから!だから先生……。オレじゃ赤ちゃん産んであげられないから……。」
ナルトがそこまで言うと、カカシは声音を変えた。
「怒るよ?自分じゃ子供産めないから?だから何?ナルトと別れろって言うの?ナルトと別れて結婚しろって?」
真剣な表情のカカシに、ナルトはゆっくりと噛み締めるように続けた。
「―――カカシ先生の力が……今の木ノ葉の里に必要なように……、先生の血を引く子がこれからの木ノ葉の里には必要だと思うってば……。」
「それは将来の火影としての命令?だったら聞くけど?」
うっすらと微笑むカカシに、ナルトは息を呑む。
「オレの遺伝子をちゃんと受け継ぐ子を産んでくれそうな女を捜せばいい?その人と子供作ればいいの?」
「ふざけんなってばよ!」
カカシのあまりな言い様に、ナルトは叫ぶ。
「ふざけてなんかいないよ。オレにとってはその程度のことだから。」
「だって……だってカカシ先生!一生のことだってばよ?!」
自分のせいでカカシの一生を台無しにはしたくない。
今ならまだ間に合うのだと、ナルトは思う。
「ナルトが居てくれればそれでいい。」
「先生……。」
その言葉を喜んでいる自分に、ナルトは泣きたくなった。
「オレにはお前が必要。お前の夢を叶える手助けをしたい。それがオレの望むことだよ?」
「先生の望むこと……。」
カカシはベッドに足を投げ出し、両腕を後ろに付いて身体を支える。
そのまま首を傾げるようにしてナルトを覗き込んだ。
「じゃあさ…ナルト。お前はどうなの?火影になるんでしょ?火影の血を引く子供こそ、木ノ葉の里には必要だと思うけど?お前、オレと別れてどっかの女と子供作る?それともお前の子供だけ産んで貰ってオレと二人で育てようか?」
「そんなこと出来ないってば!!」
「罪悪感を感じるから?」
「違う!!カカシ先生以外の人なんて……、カカシ先生じゃなきゃ………!!」
ナルトはそこで言葉を止めた。
自分の口から出たその言葉に涙が零れそうになる。
カカシ先生じゃなきゃ嫌だ――――――。
「解った?」
自分の考えを自分の感情が裏切る。
カカシはナルトのそんな心の中を見透かしているように見えた。
「……カカシ先生じゃなきゃ……ダメだってば……。」
その言葉を聞いてカカシは困ったように微笑んだ。
「オレもね、ナルトと同じなの。ナルト以外の人なんてさ、もう抱けないよ?」
ナルトは悲しそうに顔を歪めた。
そしてポツリと口にする。
「ごめんなさい……カカシ先生。」
「なんで謝るの?自分のせいだと思ってんの?違うでしょ?オレがオレの意思でお前を好きになったんだから。」
カカシはナルトに謝ることすら許さなかった。
自分の感情は自分のモノだと――――――。
それを否定するのは許さないと――――――。
カカシの意思の強さにナルトはただ頷く事しかできなかった。
「それにね、子供を作る為に結婚するわけじゃないでしょ?ま!中にはそんな奴も居るかもしれないけどさ、オレは、そんなのは女の人に失礼だと思うよ。それじゃ子供産む道具みたいだもんね。」
ナルトはハッと顔を上げた。
「そうじゃないでしょ?好きだから、その人と一緒に居たいから、その人の一生を背負う覚悟で結婚するべきだよね?子供はそれから。第一子供の居ない夫婦だってたくさんいるしさ。オレとナルトは『結婚』って形は取れないけど、オレはナルトが誰よりも好きだし、大切だし、ナルトと一緒に居たいよ?ナルトの一生を背負うってのもいいけどさ、お前はオレと同等で居たいでしょ?」
ナルトは即座に頷くと、カカシを見据えてしっかりと答える。
「カカシ先生と同じくらい強くなりたいってば。守って貰わなくてもいいくらい、強くなりたいんだってばよ。」
揺ぎ無き決意。
「火影になるんでしょ?」
「なるってば。」
迷うことなく答えるナルトを見つめて、カカシはにっこりと微笑んだ。
「―――だったらさ、お前が望むのならこの命だって惜しくないから……お前の行く道を阻む存在があればオレの全てを賭けてでも排除してあげるから……、だから、お前は何も心配しないでお前の行きたい所へ向かえばいいよ?」
「カカシ先生が命賭ける必要なんて無い!そんなこと言わないでってば!!カカシ先生が居なくなったりしたら……そんなことになったら……。」
ナルトの双眸からポロポロと涙が零れた。
カカシにしがみついてその胸を叩く。
「痛てっ!痛いでしょ、ナルト。」
「先生が悪いんだってば!変なこと言うから!」
顔を上げてキッとカカシを睨む。
「ごめん、ごめん、でもね、そのくらいの決意が無くちゃね……。」
カカシは笑いながらナルトを抱き締めた。
「でも……でもオレ……先生に何もしてあげられないってば……。そんな風に想って貰っても何も返せないってばよ……。」
「オレがそうしたいの。」
「でも……カカシせんせ……。」
尚も納得が行かない様子のナルトに、カカシは軽く溜息を吐いた。
「重い?」
「え?」
意味が解らない様子のナルトに、カカシは言葉を選ぶ。
「重荷になる?オレのこんな気持ちはお前の負担になる?」
「そんな!そんなこと無いってば!嬉しいってば!凄く嬉しいってばよ!」
途端に、また泣き出しそうな顔で、必死に叫ぶ。
そうではないのだと―――。
むしろ自分が重荷になっているのではないかとナルトは思う。
金の髪。
蒼い瞳。
やがて漆黒さえ身に纏わざるを得なくなるであろうその存在を、カカシはそっと抱き寄せた。
「お前にとって邪魔な要素は全部オレが引き受けるからさ……だから、傍に居させてよ。ナルト。」
「でも……。」
自分の背に両手を回しながらも、まだ頷かないナルトに、カカシは苦笑する。
「じゃあ、ご褒美頂戴?」
「ごほうび?」
「オレをずっと好きでいて?」
「せんせ……。」
カカシはうやうやしくナルトの手を取ると、その手の甲に口付けた。
「そしたらオレはお前の為に生きて行くから……。」
生きて行く――――――。
それは自分達にとって……。
それを約束することは容易いことではないことだと、ナルトは知っていた。
それでもカカシはそれを約束すると言う。
ナルトの為に……。
それは、カカシがどれ程ナルトを想っているのかナルトに解らせるのに充分過ぎる程の言葉だった。
ナルトは自分の手を握るカカシの手に、もう片方の自分の手をそっと重ねた。
「オレがカカシ先生をずっと好きでいたら、先生はオレの傍にずっと居てくれるの?」
「誓うよ。」
「約束……だってばよ?」
カカシは微笑むとナルトの手を裏返し、今度はその手の平に口付けた。
「約束だよ?ナルト。オレをずっと好きでいてね?」
「約束するってば……。」
ナルトはふわりと微笑んだ。
月明かりの下―――。
二人はそっと口付けを交わす。
永遠なる全ての想いを込めて――――――。
END
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