記憶
温もり
銀の月
誰?
―――ゆりかごの記憶―――
(君と生きる彼方 その1)

浮上する感覚をしばらく味わった後、ふっと目を開けると見知らぬ天井が視界に映った。ぐるりんと見回すと、記憶の端にも掛からない部屋。

天井が高い。家具の背も高くて、一式揃っています、といった感じに同形式タンスが三竿。本棚が二本。家具も壁紙もカーテンも、落ち着いた茶色に統一されている。

(ぜってー、俺の部屋じゃねぇってば)

確認するまでもない事を思いつつ、ナルトは視線を泳がせた。と、

くしゃり、と髪に絡む指の感触。

びくっとして手の伸びてきた方。普段は窓と壁しかないはずの左手側に視線を移した。

気抜けするほどに「心配」の文字を表情に張り付かせた担当教師がそこにいた。

うずまきナルト。木の葉の里の下忍。忍びになりたてのほやほやの彼だが、とびっきりハードな初仕事を終えたばかり。任務で負傷した同僚のうちはサスケはまだ病院の住人のままだ。同じように負傷したはずのナルトは、早々に完治して、もう一人の同僚、さくらと一般の人々の日常に密着した任務に―つまり、草取りや農作業の手伝い等――に、担当教諭である上忍のはたけカカシの指導のもと日々励んでいた。

それが、今日。

過去に、遭遇した。

任務を終えて、ナルトは日課になったサスケのお見舞いをして、夜道を、家へと走っていた。悪意の臭いに、忍の足を以って全速力で走っていた、足を、緩めた。

スピードを落とさなければ、恐らく眼か首に傷を負っただろう、トラップ。

かつては、日常茶飯事の事として、ナルトはトラップや待ち伏せを受けていた。久し振りの事態に、彼は「うっかり引っ掛かる」振りができずに回避してしまった。迂闊に引っ掛かって、けれどなんとか簡単な負傷で済んだ振りを今までちゃんとしてきたのに。

かつて――ナルトの年齢と同じだけ昔。

木の葉の里を席巻した嵐。

九尾の狐という災厄。

妖狐に、里は壊滅的な打撃を負った。負傷者の数は言うに及ばず、死者は地を埋めた。その妖狐は、四代目火影によって、生まれたばかりの赤子、ナルトの身に封印された。

狐と共に、大切な者を妖狐によって屠られた者達の、行き場を失った怨みをナルトは引き受ける事になった。

むろん、ただの八つ当たりだ。ナルトに憎しみの目を向ける人々にも、恐らく心の奥深くで自覚はある。ナルトはただの器で、一番の被害者と言っても良かったはずだ。本人の意思を全く無視して、怪物をその身に押し込められたのだ。だが、血に塗れた狐はこの世から消滅したわけではなく、若く健康な子供の中で生き長らえているのかと思えば、否応もなく、憎しみが甦る。大切な者は、切り裂かれて大地に散ったのに、敵は、あどけない子供の姿で、目の前にいる。子供は子供、狐は狐と割り切る事が里人にはできなかった。憎しみのまま、拳を子供へと振り下ろした最初の者が誰であったかなど、誰にとってもどうでも良かっただろう。ただ、そうしても良いのだ、と里の誰もが思ってしまった。

憎悪に因る暴力に、ナルトは晒されて生きてきた。自然、ある程度、性格に歪みを生じた。制裁を、最低限で済ませさせる術も学んだ。適当に傷を負ってやれば良い。それで、人々は胸を撫で下ろして去って行った。

報復は、暴力だけではなかった。闇討ちのような真似をしない者達は、徹底的にナルトを無視した。そこに、全く存在しないかのように、見ない。聞かない。応えない。

今では優しい一楽のおやじさんも、かつてはナルトが触れた食器を影で割っていたのを知っている。

ナルトは、臨機応変に仮面を被る事も覚え、今まで来た。

一番悲惨だったのは、何故、自分がそんな目にあうのか、ナルトは全く知らなかったという事だったろう。

皮肉なことに「何故」かを知った今、アカデミーを卒業して下忍になってから、しばらく里の者からの暴力が、なくなった。下忍とはいえ、一人前の忍として認められたナルトの力を恐れたのか、それとも「忍」という立場に一応の配慮をしたのか。

しばらく、里人から被害を受けなかったのと、今現在、「仲間」と呼べる存在を得てナルトは油断していた。

トラップを簡単に回避してしまった己に、ナルトは心中、舌打ちをした。適当にすっ転んで、適度に殴られて終わりといういつもの段取りができなくなってしまったのだ。

奇妙に高い声が、耳に届いた。

最初の一撃を、左腕で受け止めた。避けようと思えばできたが、それは得策ではないように思えた。だが、ナルトはさっさと逃げ去るべきだった。

自重していたうっぷんと、トラップに引っ掛かる間抜けさを笑えなかった悔しさで、それを画策した者は「器」を壊す危険を、すっかり失念してしまった。ナルトが判断を誤った事を察した時には既に遅く、骨と肉が潰れる音を、聞いた。

後は記憶にない。

目覚めて、心配顔の担当上忍、はたけカカシを視界に映し、ナルトは深く息を吐いた。

「せんせー?」

「ナルト」

声が湿っぽい。ふっとナルトは微笑った。

(あ、やべ)

何かを投げてしまったような微笑は、カカシの生徒であるナルトらしくなかっただろう。カカシの知っているナルトなら、「へへへー、失敗しちゃったぁ」とあっかるく言って然るべき。

(ちょびっと、本性でちったか?)

まいっかーと、身体中が痛む状態で投げやりにナルトは思った。なにより、この上忍に取り繕っても無駄だろう、という認識がある。

「俺、先生に助けてもらったってば?」

「まーね。ちょっと通りかかって」

本当か? とナルトは眉根を寄せた。里の人間が、ナルトを受け持っている上忍が通りかかるような場所でナルトを襲うとは思えなかった。

「うーん。まあ、ちょっと心配になって様子を見に行ったというのがホント」

ナルトの疑問を察したらしく、カカシはあっさり本当の事を口にした。

「病院へ連れて行こうかとも思ったケドね・・・」

語尾が濁るカカシに、ナルトは潰れたはずの腕を動かしてみた。

「すっげー治り早いってば」

「里の医者にも、ねえ」

カカシの言いたいことはすぐに解った。ナルトの傷の治癒が異常に早いという事実が里の人間に広まるのはあまり良いとは思えない。

「で、俺の家にご招待しまシタ?」

まだ心配の文字を表情に残して、それでもカカシは笑った。ナルトは、今度はへへ、と笑った。

「へへじゃないでしょー。全く。心臓止まるかと思ったよ、せんせーは。どうもナルトは殴られ慣れているみたいだけど、俺はそんな場面に慣れてないよ?」

「えーと、別に襲撃受けたことを笑ったわけじゃないってば。なんていうか、せんせーの家の、せんせーの部屋かーと思ったら、なんていうか、その、さあ?」

上手く説明できずに適当に言葉を切る。自分が触れた物は、焼かれたり壊されたりという対応に慣れ親しんで育ったナルトには、人様の家の、人様のお部屋の、人様のベッドに寝ているという事態はどうにも慣れない。もっとも、暗部にもいた上忍が、人間が殴り殺されかけている場面に慣れていないという言葉には心中

(嘘こけ)

と思ったけれど。

くすり、と笑ってカカシはナルトの髪をくしゃくしゃにして頭を撫でる。

ナルトは、頭を撫でられるのは、好きだった。なにやらくすぐったく嬉しい。だが、カカシの指が、すう、と頬に下りてくると無意識のうちにナルトの身体は硬直する。人の温みは、拳くらいしか記憶に無い。人に触れられるのは、気持ちが悪い。

ナルトの身体に走った緊張に気づかないふりで、カカシはちょん、とナルトのおでこを人差し指で弾いた。

「今度は、元気な時に遊びに来て? 歓迎するよ」

「歓迎?」

「うーん、レパートリーにあるだけの料理を作ってあげよう」

「んじゃ、7班皆で、って痛て」

元気に起き上がって嬉しそうに言いかけたナルトは、身体中の痛みに顔をしかめた。

「いくらなんでもまだ痛いでしょう。ゆっくり眠って。完治するまでここにいると良い。そうすると、元気になる前にレパートリー食べ尽くしちゃうかな?」

おっとりと微笑する教師に、ナルトは首を振った。

「俺、帰るってば。歩けそうだし」

ベッドから降りようとするナルトをカカシは慌てて止める。

「だーめ。怪我人は大人しくする。第一、レパートリーその一、卵粥がもう台所にあるの。温めてくるから、食べなさい」

言うなり、背中を向けてカカシは部屋を出て行ってしまった。それを見送ってナルトは身体中に溜まっていたかのような息をゆっくり吐き出した。

気持ちは帰宅を促すが、身体はかなりきつい。

己が里中の嫌われ者だと思い出すのに十分な出来事に、気持ちが暗くなる。

(早く出て行ってあげないと、せんせーに迷惑だってば)

思いながらもゆっくりと室内を見回す。何所かナルトの考えるカカシの部屋とそぐわない。多分、物が多いためだろう。カカシの部屋は殺風景なものだと、何故か思い込んでいた。爪先が床に触れた。と

「大人しくしてなさいって、言ったでしょ?」

縦長のフレームの中に、突然、トレーを抱えたカカシが立った。

「ドアないんだよねー、この部屋」

にや、とカカシが笑う。ナルトがドアだと思って眺めていた部分は、廊下の壁だったのだ。床部分を隠すように敷居が高くなっている。はい、寝た寝た、と手で促されて、結局ナルトは布団に戻った。カカシはといえば、ベッド脇の台にトレーを置くと、湯気を立てる卵粥らしきものを蓮華にすくってナルトの鼻先に差し出た。

「はい、あーん」

にこにこの笑顔に、馬鹿にされている気分をナルトは味わう。が、はあ、と諦めのため息をついて、目を閉じた彼は、そう、とまずは舌先で粥の温度を確認した。大丈夫と判断して、上目使いにカカシの顔色を見つつゆっくりと口に含んでゆく。唇をすぼめて、すっと頭を引く。

ほかほかの、ほのかに甘しょっぱい粥に、ナルトは全開で笑った。

「うめー」

「・・・そ・・は、良かった」

少々上ずった声のカカシに首を傾げつつ、ナルトは両手を出した。

「あと自分で食えるってば」

「んー、まあ、腕の傷が特に酷いから、せんせぇに任せてなさい」

言われて両手を見てから、ナルトはこっくん、と頷いた。

カカシがトレーを片付けに部屋を出て行っても、ナルトはもう起き上がろうとはしなかった。確かにまだ身体中が痛い。居ても良いという優しい人間の言葉に甘えたくなってしまった。それに

(せんせぇは強いってば)

里の人間に、危害を加えられたりしないだろう。

戻って来たカカシは、今度はお茶の乗ったトレーを持っていた。大人しくなったナルトの髪をわしわしと撫でる。

「辛かったな」

「あ、いや、そのお、俺ってば、慣れてるし」

にか、と笑うナルトに、何故かカカシは恐い表情をした。

「慣れる程、あんな目に遭っているの?」

ナルトは返事の代わりに首を竦めた。明言しては、いけないような気がした。

「というか、暴力に、慣れるなんてコト、ないでしょ? どうしてそんな、許してますみたいな表情してるの?」

「えーと、その、多分、自分を許してるから」

っつーか、俺に言葉の説明を求めないでくれってば、とナルトは心中思う。

カカシはますます恐い表情になってゆくので、ナルトは必死に言葉を探した。

「えーと、えーと」

そして、ふいに、ふうんわり、と極上の笑顔でナルトはカカシを見上げた。

「すっげー、昔なんだけどさ」

「うん?」

「俺のアパートの向かいに、新婚の夫婦が住んでてさ。で、子供ができたんだ」

「あのねー」

「いや、だからさ、もう、自分なんて居なくて良いとか、死のうかなーと思ってた時に、毎日毎日、わんわん赤んぼうの泣き声がするわけだってば」

「余計死にたくなったの?」

「違う。違う。夜昼無く泣く赤んぼにさ、でも若い母ちゃんは抱っこして、乳やって、って面倒見てるんだってばよ。俺、目も耳も良かったからさ。みんな聞こえるわけさ。そりゃ、母ちゃんだってヒステリー起こしたり、黙れっとか殺してやるーとかすげー悪態つくし、ぎゃーぎゃー泣いてても、ぐうぐう寝てる時とかあるんだけどさ。一生懸命、なんてーか、赤んぼの命を、繋げてた」

「それが?」

「俺だって、初めからこの年齢で生まれたわけじゃないってば。俺にも、赤んぼの時があったってば。誰かが、手を差し伸べてくれなけりゃ、簡単に糞尿まみれで餓死しちまうような時期がさ」

ナルトは、真っ直ぐに前を見る。

「泣いて、困らせて、実の母親でさえ、殺してやるー、なんて叫んじゃう時期をさ、乗り越えてくれた人がいるってば。その後、本当に殺す気になったとしてもさ、今に俺を繋げてくれた人がいるってば。だから」

「たった、それだけで? そのたった一人で、全部を許すの?」

「たった一人じゃないってば。今は、火影さまも、イルカ先生も、7班の皆も!いるってば」

カカシは困ったように前髪をかきあげた。

ふう、とため息をつきつつ、ぽふぽふとナルトの頭を撫でる。

(何年前の話だよ)

だいたい、普通の子供は夜昼無く泣く赤子に、ひたすら腹を立てる事はあっても、かつて己も赤子の時期があったとか、そんな自分の面倒を見てくれた人がいたんだなどと感謝したりしない。

(まったく)

草むしりをしているカカシを見て、里人はくすり、と笑った。

背中にぎゃんぎゃん泣く赤ん坊をくくりつけた14歳の少年の姿は、確かに微笑ましいものだったろう。

内実はともかく。

暗部に所属していた程の忍とは、誰も思わなかっただろう。

狐がえぐり取っていった左目。

隻眼の感覚に慣れるまで、下忍扱いをすると三代目に言い渡された時は耳を疑った。己は並の忍ではない、という自覚があった。両目で見ていた時と、確かに感覚は違うが、視覚だけに頼った事はない。すると

「ついでにその間、子供を預かって欲しいのじゃ」

火影から手渡された赤子は、金髪碧眼の、綺麗な子供だった。だが

「これは、狐の器ではないですか」

叫ぶと、火影はゆっくりと頷いた。

「酷な仕事かの?」

弱い精神じゃの、と言われたようで、カカシは黙って子供を抱いた。

そのまま家に帰った事を、カカシは散々後悔した。

赤ん坊の世話など解らない。朝も昼も夜も泣かれる。

自分では何も出来ない生物の存在に眩暈がした。育児書に、料理本を購入した。だが、赤ん坊は、初めから大人と同じ食事ができないと知った時の衝撃。

涙目で任務をこなしたのは、後にも先にもあの時期だけだ。一目で器と解る金髪は布で隠した。どこへでもおんぶして行った。

子供は、暖かかった。

寝返りをうった。這った。立ち上がった。

とたとたと、赤子がカカシの後をついて歩けるようになった頃、暗部への帰属命令が出た。不思議な気分だった。

隻眼になど、慣れるまで一週間とかからなかったのに、子供の世話に一年以上を費やして、後悔が、無かった。

火影に渡した子供のその後は、暗部を出るまで、カカシに知らされる事はなかった。

5歳まで、火影の元で育て、その後一人で町に出したと。

たった一人で世間に放り出したのか、と三代目火影を責めたカカシに、老いに差し掛かった男は苦笑した。

「わしは、あれより先に逝く予定での。あれの最後まで、守ってはやれん。最後まであやつを守れるのは、あやつじゃろう」

にや、と笑った火影の表情。

(ああ、まったく)

鮮明に脳裏を駆け巡った記憶。

カカシにとっては、ただ懐かしいだけの、薄れ掛けていた記憶。

赤ん坊の頃だ。ナルトには、それが誰であったのか、記憶に無いだろう。

それでもそれが、目の前にいる男の子の生きる糧の一つであったという事が、ひどく嬉しい。

「へへ」

「ん?」

「俺、頭撫でられんの、結構、好き、だってば」

言いながら、ナルトは今まで自分の頭をゆっくり撫でていた手に触れた。

血の臭いの、する手。

「せんせぇ、俺」

「なーに?」

答えずに、ただナルトは笑った。

(この手を、覚えてるってば、俺)

街中に、悲鳴が上がった。

夜明けと共に、それまで全く見えなかった物が、いきなり視界に現れたのだ。

路地裏の窓に吊るされた死体。

両手首を切られ、逆さに吊るされた、それ。

「隠遁の術?」

報告を受けた火影は眉根を寄せた。

出血多量で死にたえるまで、開放を願い暴れた跡のある死体。叫んでもいただろう。だが、誰一人として全く気づかなかった。

「犯人は、忍・・・か」

火影のつぶやきに、側近達はただ目を伏せた。

                           君色の闇に続く








都築駅さんから頂きましたvvv(と言うより奪い取った?)
ああ、ナルトが可愛い〜vカカシが優しくて素敵〜v
過去のエピソードとか、凄く惹かれます(萌え〜〜)ストーリー性の高いお話作り、いつもながら尊敬致します。
駅さん、ありがとうございました♪
続き、楽しみに待ってますv(←脅迫?)

火野 晶





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